でいりいおくじょのBLOG

2014.05.04

読書日記 「円卓」(西加奈子著 文春文庫)

大好きな西加奈子さんの作品。

今回もまた、心がぽわ~んとあたたまるお話です。
 

主人公のこっこはちょっと生意気で口が悪い小学3年生。

そのこっこが三子の姉、両親、祖父母、学校の友達、先生

と関わりながら

子供から大人へと成長していく物語です。

この物語には、いろんな人が出てくる。

自分とは違うものを持っている人を

ただただ羨ましくて、かっこいいと思ってしまうこっこ。
 

結膜炎で眼帯をしてきた香田さんや

パニック症の発作で救急搬送される朴くん

ロシア人と日本人のハーフの横山セルゲイは9歳にして好色

菅原ありすはホルモンの病気で9歳なのにクラスで一人生理があり、ブラジャーもしている

ゴックンは両親がベトナム人で、名前も完全にベトナム人なのに日本語しか話せない

ぼっさんは吃音だけれど、頭がいい。
 

こっこには、そういう”自分にはない何か”がかっこよくみえ、真似したくて仕方ない。
 

そんなこっこにぽっさんは言う

お前はカッコええと思うことが

その本人にとってはしんどいと思っている場合もある
 

例えば香田さんの眼帯が羨ましくてしょうがないから

結膜炎でもないのに、結膜炎になったふりをして眼帯をしてみたり

ポッさんの吃音のしゃべり方を真似してみたり。
 

ポッさんは、こっこが本当に心底自分の吃音を格好いいと思って入れていることを知っているから

こっこがそれを真似しても嫌な気持ちはしなけど

ポッさんの周りの大人達は、それを治そうと努力していた。

それを知っているからポッさんは

そういうことはまねしたらあかんのんやと、こっこに教える
 

だけど本当は

自分の吃音をカッコええと思ってくれるこっこのお陰で

ぽっさん自身も、自分のことをカッコええと思えるようにもなった。
 

こっこは言う

自分はこんなに羨ましいと思っているのに

なんでしんどいと思うんやろう。

その本人がしんどいと思っているかどうかはどうやれば分かるんやろう
 

ポッさんは言う。

それは想像するしかないんや。
 

子供の心の中は

自分と自分以外の世界が、丸い円卓の上にあって

自分と同じものも違っているものも、全部が自分とつながっている
 

大人になるということは

そういう自分と違ったものに世間の常識や分別といったもので境界線をひくことなのか?
 

子供と大人

日本と他の国

普通と、普通でないこと
 

まあるくつながっていた円卓が

四角い机になるみたいに
 

あの人はどこの国の人やとか、

人を哀れんでいるつもりが実際は心の何処かで蔑んでいたり

人の上下を作ってみたり、

大人やから子どもやからと区別したり

そういう、境界線をひくことなのか。
 

夏休み

いつも一緒にいたポッさんが、家族旅行でいなくなり

お母さんのお腹に赤ちゃんが宿ったことを知るこっこ。
 

はじめての孤独

自分がどれだけ愛されていたか

自分がどれだけ、周りの人達を大好きだったか

一人になって、考えて初めて分かることがある。

そして、その寂しさを通して確実にこっこは成長していく。
 

この本を読むと

自分はどんな風におとなになり

いま、頭でっかちのおとなになって

わかったような風をして、見えない境界線を自分の周りに張り巡らしていないか

そんな、質問を自分にしてみたくなります。
 

大人になるということは

分別によって、人を区別したり

常識という型にはめて、目に見えるものをわかったように分類することではなく

想像力によって

目に見えない物の価値を認めることなのではないか

読み終わった後はそんな風思えてきます。
 

そうして

自分自身の子供の頃の心の中を想像してみれば

世の中は、まあるい円卓のように

境界線のない世界が広がっていて

なんだか、色んなモノがワクワクしたり、ドキドキしたり

かっこ良く見えたりしていたような気がするのです。
 

おとなになった今もでも

想像力があればあの円卓の世界に

戻ることはできるのだと思えます。
 
 
 

余談ですが

こっこの家の夕飯のメニューとして

麻婆茄子春雨豆腐とトマトにわさびマヨネーズ、水なすのつけもの

じゃが芋とニラの味噌汁

というメニューが出てくるのだけれど
 

麻婆茄子春雨豆腐というのは

私も昔からやっている料理で、マーボー味をベースに

それに合いそうなものをどんどん入れて、いくと

どんどんいくらでも豪華なマーボー料理になるという便利なメニュー。
 

それはいいとして、

気になるのは、トマトにわさびマヨネーズ

トマトに、わさびは合うのか

それが気になってやってみたのだけれど

トマトとわさびがあっているのか、どうか、正直分からない

あまりにもトマトとわさびの間に距離がありすぎて

境界線も引けないというか

どうやっても、口の中でトマトとわさびが合体してくれない

けれど、これもまあるい円卓の上に、トマトとわさびがのっていると考えれば

どこか遠いところで、かすかに手をつないでいるのかもしれません。

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