でいりいおくじょのBLOG

2025.06.21

東京都写真美術館「不易流行」つづき

昨日の、東京都写真美術館の続きです。

 

私は、もともと写真を見るのが好きなんです。

 

絵を見るのも好きなんだけれど

写真を見るのも同じくらい好き。

 

写真には、絵とは違う何かあって

そこに強く惹かれているきがするのです。

 

ところが、昨日は

これまでとは、違う衝撃を受けました。

 

っていうか

私、始めて写真美術館に行ったのですが

それがもう想像以上で

正直、写真に対する認識が変わるくらい

ああ、写真ってこんなすごい力を持っているのだという驚きの発見だったんです。

 

とにかく

写真の持っているエネルギーみたいなのが、すごかった。

 

絵だと、描いた人を一度経由するので

そこでいったん、息ができるんだけれど

 

写真だと、ストレートにバーンとくる感じ。

 

しかも、

そこでとらえている一瞬に

いろんなものがバーッと入っていて

それが、見ているこちらの方に、すさまじいエネルギーで向かってくる。

 

いやぁ、すごかった。

素晴らしい写真って、こういう事か~~って

上手く言えないんだけれど、やられました。

 

今回、私が一番衝撃を受けたのはこの写真

 

 

 

見た瞬間に

金縛りになったみたいに

魂が持っていかれる感じがしました。

 

ぞわぞわするんだけれど

なんか動けないの。

 

この人の中の、なんとも言えない感情が

静かに、けれど強烈に迫ってくる

 

悲しいの、寂しいのか、絶望しているのか

虚無なのか

あるいは、何かかすかに光を見ているのか

 

なんなんだろう・・・これ・・。

 

小さな花がついた結婚指輪?

そして、少しはだけたような薄い服

それも、何かぞわぞわする‥。

 

その時

一緒に行った友人がつぶやいたんです

 

「祈り…」

 

ああぁ・・・・そうか

そうかもしれない

祈り‥そう祈り・・。

 

祈りって、たぶん、こういう事なんだと思う

自分のことを願うんじゃなくて

自分の大切な誰かを想っている、そんな感じ

 

夫か、子供か

もしかしたら、その人は亡くなっているのかもしれない

 

そんなことを思ったりしました。

 

一枚の写真がなんとも雄弁に語っていました。

 

この写真だけでなく

どの写真も、どの写真も

こんな感じで、ものすごくたくさんのことを語っていて

 

たぶん、それこそが、不易流行

 

時間がたっても変わらないもの

そこから吹いている風

変わらないものと、変わりゆくもの

人間の中に潜む、本当のなにか

言葉ではうまく言えない何か

 

たくさんの、そんなコトバのシャワーを浴びました

 

この展覧会

6月22日までです。

 

もう少し早く知っていれば、もう一度見たかったな。

 

 

コメント

  1. ママデューク より:

    写真でそこまで感じとれるんですね😲写真の女の人。確かに誰かの事を想って祈ってるように、言われてみれば感じますが、ボクはそれまで感じとれませんでした。
    不易流行という言葉もボクは知りませんでした。変わらないものを知らなくては基本が成り立たないし、流行を知らなければ新しい風は起こらない。深い言葉ですね。
    ボクは何事も基本が出来ていないので、変わらない物を知る事学ぶ事でいっぱいいっぱいで、新しいものを取り込んで変えていく事まで手が回っていないなと感じました。
    ボクの好きな故中村勘三郎さんの型破りの話に似てるなとも感じました。型をしっかり熟知しているから型破りな事が出来るのであって、型をきちんと会得してなければ「型なし」になる。ボクは何事もきちんと型が出来ていないので、型なしばかりです。
    それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

    1. 奥薗壽子 より:

      いあいや、ママジュークさんも、いろいろ学んでおられし
      なんといっても、へんなこと(?)をよくご存じで
      それでいいんじゃないんですか?
      私は、型にハマることが逆に嫌いで、できたら型にはまらない人生を歩きたい。
      自分らしくあれば、型なしでいいんじゃないかと思います。
      それは、ある意味、まねではない、自分の型なのでは?

  2. ママデューク より:

    ボクももう51歳で今から型をきちんと学んでいくには歳をとり過ぎていると感じています。
    ボクの中では、自分が弱者だからなんですが、どうすれば社会的弱者の人達が豊かになって幸せになれる世の中になるかを考え活動する政治的問題が1番重要と感じています
    政治的活動と言っても、今から総理大臣になるのは勿論無理だし、出来るのは社会的弱者の為になる政治は何かを自分なりに勉強して考えて、そういう政治をしてくれる政治家に1票入れたり、時間があればそういう政治家を支援するボランティアに参加する事くらいかなと今のボクは考えています。それよりも今の無職で社会的弱者なボクでも、毎日楽しく暮らしているいける事を日々の生活で実践し、社会的弱者が豊かで幸せに暮らせるモデルケースになる事の方が実践的だと自分なりには感じています。
    まだ生活保護は受けていませんが、生活保護の範囲で、ボクの場合は母の介助をしながら、奥薗流レシピで3食美味しくヘルシーな料理を作って食べ、好きな映画を観て、好きな本を読んで文化的な最低限度の生活を送って、落ち込む事もあるけれど、毎日楽しく生活している事自体が、ボクは今自分が出来る自分流の政治的実践だと感じています。
    勿論人それぞれ違うので、ボクのライフスタイルを押しつけるわけではないのですが、社会的弱者でも豊かに楽しく生活できる事を自分の日々の生活で証明したい。
    それが何もできない型なしのボクの生きる意義なのかな?と今のボクは感じています。
    その中でも食べる事が充実している事は本当に重要だと感じています。奥薗流レシピには本当に感謝しかありません🙇‍♂️ありがとうございます🙏
    とりとめのない話になってしまい申し訳ありません🙇‍♂️それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

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