でいりいおくじょのBLOG

2019.04.08

京都・嵯峨釈迦堂の大念仏狂言

今日は嵯峨釈迦堂で行われる嵯峨大念仏狂言を見に行ってきました。。

嵯峨釈迦堂って、清凉寺のことで

つい先日お松明を見に行ったところ。

ほら、すごーく火が燃えていた、あれ。

今日は、そこで念仏狂言です。

 

念仏狂言というのは、

融通念仏という教えを広めるために行われていた無言劇が最初で

それが、地域の人たちの力で、ずーっと大切に伝承されてきているもの。

 

京都には、三大念仏狂言があります

 

壬生大念仏狂言

嵯峨大念仏狂言

えんま堂大念仏狂言

 

節分の時に見に行ったのがえんま堂大念仏狂言で

えんま堂の念仏狂言は、セリフのあるお芝居なのですが

今日、見に行った嵯峨大念仏狂言は無言劇です。

(壬生狂言も無言劇です)

 

更に、こちらは能楽堂の2階部分が舞台なので

見上げる感じ。

えんま堂は客席と舞台が、ほぼ同じ高さだったし

壬生狂言は、観客席から見下ろす感じの舞台だったので

見上げるのは、ちょっと意外な感じ。

 

最初、前の方に座っていたのですが

前だとむしろ見えにくく

途中で後ろの方の席に移りました。

それくらい、高いところです。

 

今日の演目は

花盗人(初日の最初はこの演目というのが決まっているらしい)

釈迦如来

船弁慶

 

花盗人は、お花見に行って、いいお花の枝をおつきの人に取りに行かせるだけれど

せっかく取ってきた桜を盗人に取られ

盗人を捕まえようとして、ご主人に縄をかけてしまい、盗人を取り逃がすという話。

 

釈迦如来は、

美人のお母さんには愛想よくするのに、

不細工な娘が拝むと後ろを向いてしまう、何とも人間臭いお釈迦様の話

 

船弁慶は

船出をしようとする弁慶と義経に、平知盛の亡霊が襲い掛かり

弁慶の念力でやっつけるという話。

 

文字で書くと、単純な話みたいに思いますが

全くセリフがないので

最初、慣れるまでは結構わかりにくくて戸惑うんです。

 

でも、しばらく見ていると、体の動きがセリフなので

身体の動きを読み取ることで、言おうとしていることがだんだんわかってくる

そうなると、だんだんお芝居の中に入っていけて

釈迦如来なんかは、結構爆笑できました。

 

なんで、こういう芝居に、こんなに心惹かれるのか、

自分でもわからなかったのですが

これって、子供の頃からいつもテレビで見ていた

吉本新喜劇に通じるところがあるなあって、気が付いたの

 

ゆるーくて、わかりやすいストーリーで

ほのぼのして、笑える。

 

そういうところに、懐かしいような感じがしているのかもね。

 

更に、嵯峨釈迦堂って

やっぱり、地域の人たちに愛されているお寺なんだなあって思って

今日も、地域の人たちが集まって、無料で公演をやっていて

(国の無形文化財なんだから、普通は有料だと思う。

っていうか、有料にすべきだと思うんだけど)

 

しかも、子供たちもたくさん見に来ていました。

 

たぶん、民間伝承の無形民俗文化財なので

次の世代にも確実に伝えていくことを大事にされているんですね。

だから、子供の頃から狂言を練習している子供たちもたくさんいるの。

 

私の前に座っていた小学校の低学年くらいの男の子も

3日目の最終日の餓鬼相撲という演目に出るって言ってました。

 

みんな熱心に上演を見ていて

ああ、狂言が好きなんだなあって思いました。

こんな子供の頃から、狂言が大好きって

なんかすごいなあ。

 

子供も、お母さんも、お父さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも

みんなで、この念仏狂言を大切に守っている感じがして

それは、先日のお松明の時に感じた、温かさとも通じるものでした。

 

そういうのを感じちゃうと

嵯峨釈迦堂が、どんどん好きになっちゃうんですよね

 

ちなみに、嵯峨釈迦堂は、もともとは、源融という人の別荘だった場所で

源融は嵯峨天皇の息子で、源氏物語の光源氏のモデルになった人と言われています。

 

こうなると、源氏物語も読みたくなるなあ。

 

こうして

どんどん、ハマるものがふえていく、私でありました。

 

 

DSC02169

(遠くの方に見えているのが嵯峨釈迦堂(清涼寺))

 

DSC02171

(ジャン!ここです!)

嵯峨念仏狂言

(狂言は、こんな感じ)

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