でいりいおくじょのBLOG

2019.04.11

京都・等伯の涅槃図

再び京都の話。

今回の京都でやりたいことは3つあって

1つめは。嵯峨大念仏狂言を見ること。

2つめは、長谷川等伯の涅槃図の本物を見る事

3つ目は、京都の桜を堪能すること

 

嵯峨念仏狂言は、先日のでいりいおくじょのに書いた通りです

 

で、今日は2番めの等伯の涅槃図の話です。

 

長谷川等伯は、織田信長の戦国時代から江戸の初期の頃に活躍した絵師です。

ある事情があり、能登から京都に出てきた後

京都で絵師としてめきめきと頭角を現し

狩野派と並び称される程になるんです。

 

等伯には久蔵という息子がいて

この久蔵が素晴らしい絵の才能を持っていて

等伯も、これで自分の跡継ぎもできた、長谷川派も安泰だと思った矢先、

久蔵が急死してしまう。

 

そのショックで絵を描くことができなくなってしまった等伯に

このまま、この才能を終わらせてしまうのはあまりにももったいなく、かわいそうだということで

等伯と縁の深かった本法寺の日通上人という方が

等伯に、涅槃図を書いてみてはどうかとすすめるんです。

 

そうして久蔵の供養のために3年の年月をかけて描いたというのが

この涅槃図で

久蔵の七回忌の時に、初めて公開されました。

 

その涅槃図。

 

本法寺というお寺にあり

普段は複製が展示されています。

 

本物が一般公開されるのは年に一回、この時期だけで

もう何年も前から、本物を見たいみたいと思ってきて

今回、ようやく見ることができました。

 

実は、これまで何度も何度も本法寺に足を運び

何度も何度も涅槃図は見てきましたが、

やっぱり、複製は複製でしかありません。

 

本物は、やっぱり線の力が違うし、全体のオーラも全然違いました。

 

で、

本物を見てアッと思ったことは

私が思っているほどに、描かれている人たちが悲しがっていなかったという事でした。

 

今回、本物を見るために

「等伯」を読み返したということも大きいのかもしれませんが

 

涅槃図の絵の印象が、違っていた。

 

これまで私は、亡くなったお釈迦様の周りで

人も動物も、みんながものすごく嘆き悲しんでいる絵なのだと思ってきました。

 

ところが、今回見てみると

私が思っているほどは、嘆き悲しんでいないような気がしたんです。

いや、確かに、ほかの涅槃図に比べれば、ものすごく悲しげです。

 

けれど、等伯の描きたかった部分はそこではなく

むしろ、それを姿を見ている自分自身の心の内を描きたかったのではないかと

思い至りました。

 

つまり、死の瞬間、残されたものは悲しいけれど

死は誰の所にもやってきて、

死んでいくものと、生きているものは、決してそこで分断されるのではなく

全てが順繰りに共存している。

だからこそ、

生きている人は、死んでいる人の想いを引き継いで、

その分まで生きなければいけない。

 

久蔵の死を受け入れ、

もはや悲しんでいるだけではなく

全てを受け入れて、なお自分が生きていく意味を見出したような

そんな悟りのようなものを感じました。

 

この涅槃図の左端には、等伯自身の姿が書かれていて

その顔は、もはや悲しみの表情ではなく

死をすべて受け入れた強さというか、凄みのようなものを感じる表情です。

それこそが、等伯の気持ちを代弁しているように、私には見えました。

 

3年かけて、この涅槃図を描き上げるなかで

久蔵の死を、自分自身の生の中に組み入れることができたのではないかな。

 

実は、智積院に

長谷川等伯親子の桜楓図というのがあって

(桜の方が、久蔵の最後の作品です)

それを見ると、なぜか涙が出てくる絵なんです。

 

それを見る度に、久蔵の死を思い

等伯の気持ちを思うからで

この絵を見ると、せつなくて切なくて号泣してしまうんですが

 

でも、今度見に行ったら、違う気持ちで見れるかもしれません。

 

今度京都に行ったら、智積院を訪れようと思います

本法寺

 

 

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