家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昨日紹介した、小川洋子さんの「サイレントシンガー」
書きたい事がいっぱいありすぎまして
昨日もかなり書いたのですが
書ききれなかったことがあって
もう書かなくてもいいかとも思ったんだけれど
やっぱり、もう少し書かせてください。
リリカのお母さんについて
思うことがたくさんあるの。
小説の中には
そんなにたくさん書かれていないのですが
書かれていない分、
お母さんを通して伝わってくることが、ものすごくたくさんあるのです。
お母さんは、おばあちゃんと
長く音信不通だったのですが
ある日、結婚できない相手との間の子どもを身ごもって帰ってきたんです。
その娘を黙って受け入れた、おばあちゃん。
お母さんは、髪の毛を切らずにずっと伸ばし続けていて
そうすれば、いつか男が迎えに来てくれるかもと思っていたからで
でも、結局男からは何の連絡もなく
リリカを産んだ後、
腰まで伸びた髪の毛を、首に巻き付けて死んでしまうんです。
その事があって、おばあちゃんはリリカの髪の毛を、
いつもいつも耳の上の長さで切るんです。
この髪の毛というの、すごく象徴的
知性とか、意味伝達のための、現実的な言葉
あるいは、目に見えるもの。
沈黙に対して、
耳で聞く言葉
頭で考える現実的な事
そんなものの象徴のように思えてなりません。
頭で考えて
頭で理解して
正しいとか、間違っているとか
言葉には、確かにそんな役割がある
でも、意味を伝達するためだけに言葉があるのだとしたら
言葉って、なんかとってもはかないなと思う。
例えば、
誰かを愛しているというのを
言葉だけで伝ようとしたら
なんて薄っぺらで、なんてはかないんだろうと思う。
言葉で言わなかったことを
感じ取ることが出来なかったら
なんて淋しいのだろうと思う。
そうなったら、
愛って呼べるのかな。
頭で理解できるように
とっても正しく
私はあなたを愛しています
と言われても、
言葉になっていない何かが伝わってこなければ
気持ちは伝わらない。
そんな気がする。
お母さんは、
目に見えるもので、耳で聞こえる言葉でしか
愛したり、愛されたりできなかったのではないかと思う.
伸ばし続けた髪の毛は、
現実的な、目に見える愛の証みたいなものを求めたというか
確かなもので男性とつながっていたいと思ったってことなんじゃないかな
う~~~~ん・・・・。
途中、リリカも料金所の男性と
良い感じになるの
この男性は
沈黙の中の声を聞こうとする人で
(実際聞いていたんだと思う)
でもリリカとは、沈黙の聞き方が違っているの
結局、彼はリリカの沈黙の声を聞くことができず
リリカも、彼の声を聞けなかった。
思うに
沈黙の声、沈黙のコトバって言うのは、
たぶん誰の魂にも響いているはずなんだけれど
聞こえているのに、聞こえていないんだと思う
夕方の、町役場から流れる音楽みたいに。
聞こえていないんじゃなくて
聞こうとしていない
あるいは気づいていないだけなんだと思う。
でも、意識していなくても
チャンと、自分の中には届いているから
訳もなく、せつなくなったり、うれしくなったり、ほっこりしたり
するんだと思う。
その事を、感じるだけでも、良いのかもって思ったりする。
そう思うと
人と人とのつながりも
直接言葉を交わすことが出来なくても
きっと、深いところでつながっているって思える。
自分がその人のことを想っていれば
言葉にならないコトバは、確実に届いているはずだ
たとえ、気づいていなくても
深いところで届いているはずだ。
だから、
会えない人とも
実際に話ができない人とも
自分が想っていれば
沈黙のコトバで、ちゃんとつながっている。
誰かを想う事
誰かの幸せを願う事
それもまた、沈黙のコトバ。
深く思う事、大事。
コメント
誰かを想うこと、思いはテレパシーみたいに一瞬で伝わるかも知れず、何年もかかって伝わるかも知れず、あるいは伝わらないかも知れません。でも、自分の生きる姿勢として誰かを想っていたい、誰かの幸せを願っていたい、自分の知合であってもなくても。今この地上にいる人であってもなくても。私たちは時間を超えて、空間を超えてつながっています。
お盆が来ました。孫も来ました。
畑の野菜ばっかりのメニューで喜んでくれるか心配でしたが
自分たちで収穫したトマトやナスをグラタンにしたり、
キュウリに味噌を付けてかじったりと喜んでいました
秋においしい野菜が取れるよう
今日も畑に行ってきま~す