でいりいおくじょのBLOG

2025.11.23

二度目のゴッホ展

昨日行ってきた、2回目のゴッホ展の話

 

ゴッホの絵って

なんか、深い所に残るんですよ。

 

それで、なんなんだろう、これ?

って思って

「ゴッホの手紙」(小林秀雄著 新潮文庫)

を読み返したりしていたんです。

 

そうしたら、別の講座で先生が

「ゴッホの絵は詩だと思う」

みたいなことをおっしゃっていて

 

ああ~~~~、それ分かるって思ったんです。

 

いやいや、分かるというのは、言い過ぎでした、すいません。

詩もわかっていないのに、そんなこと‥。

 

ただ、詩かどうかは分かんないけれど

コトバだなって思ったんです。

 

ゴッホって、ものすごい数の手紙を残しているんです。

主に弟宛に書いた手紙なんだけれど

「ゴッホの手紙」を読んでみると

すごいの。

 

何がすごいかっていうと

文章の量もさることながら

 

物を見て、その奥にあるものを感じる力みたいなのが。

 

手紙に、その日に見た風景の描写が延々書かれているんだけれど

そこに、時が流れていて

その風景の中に、そこで暮らす人たちの日々の営みがあって

日々の暮らしの中で感じている想いみたいなのまで感じていて

それを、丁寧に書いているんです。

 

なんかね

見えている景色は、ただの景色ではなくて

そこにある命のつながりの中で、

日々生きている命によってつくられているというか

その景色の中に、命の本当のことがあるというか

そんな風に感じられる。

 

とにかくすごい。

 

おそらく

ゴッホの感じているものは

文字で書かれたものよりもはるかに大きくて

ことばが追いついていないんじゃないか

そんな感じがする。

 

そのコトバで書ききれない何かを

絵で書こうとしているんだと

その手紙を読みながら

すごく思いました。

 

うん、すごく伝わってくる気がする。

 

けれど、

たぶん、感じているものは

ものすごく大きくて深くて

ゴッホでさえ、それを持て余している感じさえする。

 

だから、絵を描ても描いても

描き足りなくて

もっともっと、もっとと描き続けたんじゃないか

そんな感じがしている、気さえしたのです。

 

それを、もう一度、

絵を見ながら確かめたくて

もう一度、ゴッホの絵を見に行ったのです。

 

今回見て感じたのは

今につながっている、もっと大きな時のようなもの

上手く言えないんだけれど

一瞬を切り取ったのではなく

繋がっている何かをつながったままに書きたかったのかなって

そんな感じがした。

 

つまり動な感じ

 

例えば、前回深く刺さった民家だったら

そこで、暮らす人たちの、ずっとつながっている暮らしと

その中にある、苦しさや、悲しさや、喜びや安堵や

そういうものが、日々そこに渦巻いてツナっている感じ

それを描こうとしているのかなと。

 

 

それを、別の言葉に言い換えたら

詩ってことになるのかな

 

そんな風に思いました。

 

今回もめちゃたくさんの人でしたが

前回よりも

何かちょっと、ゴッホさんとお近づきになれたようで

行ってよかったです。

 

コメント

  1. Amy より:

    前回の刺繍作品ですが、先生のおっしゃる静かな祈りは霊性にも通じているのでしょうか、霊性が何か理解している私ではないですが。欲張らないこと、その日の仕事を粛々とこなすこと、まわりの喧騒に惑わされないこと、これらも霊性をなす要素でしょうか。作者さんたちはひたすら粛々と祈りとともに作品を完成させ、それらの作品は見てもらうべき人に見てもらうべき時、その相応しい場所に置かれているように感じます。

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