家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昔から、茨木のり子さんの詩だけは、なぜか読んでいるんです。
実は、詩人茨木のり子さんとは、不思議なご縁がありまして
彼女の詩が好きとか
詩を読まずにはおれない、とか
そういうのとは、ちょっと違う何かがあるのです。
その不思議なご縁については
また別の機会に書くとして
その茨木のり子さんに
「韓国現代詩選」(亜紀書房)
という本があります
最近、この詩集の音声講座を聞いていて
詩とは全然関係ないことで
ああ、と思ったんですよね。
茨木さんが韓国語に惹かれていく道程が
私が読むと書くに導かれていく道程と
すごく似ているなあと思ったんです。
茨木さんが韓国語を始められたのは50歳を過ぎてからで
きっかけは、ご主人を亡くされた事。
その悲しさや淋しさを紛らわすために
語学にのめり込んで、なんとか前に進んでいかれたのだそう
でも、実際は、それだけじゃなくて
もっと昔から、韓国語の詩とはご縁があって
何かに突き動かされるみたいに、韓国の詩に導かれていった。
この、韓国語を学ばずにはおれないって感じっていうか
自分の内なる予感みたいなのって
たぶん、ものすごく大事で
一言で言えば、運命だなって思う。
茨木さんが詩人であったことも、ご主人と出会ったことも
ご主人がなくなられたことも
その時、韓国語と再び出会われたことも
全部、何かつながっている感じがしたんです。
そう思った時に
私は自分のことと重ね合わさずにはおれませんでした。
2年前に読むと書くの教室に行った時のこと
別に、何か大きな目的とか、目標とかがあったわけではなく
突き動かされる感じで、飛び込んだんです。
文字通り、何か大きな力によって、そうさせられたって感じ。
文学とか、哲学とか、学んだこともないし
そもそも翻訳の日本語が読めないから
外国の人が書いたものが、一切読めないし、読んだことがない状況で
読んだことのない本を開き
訳の分からない言葉を一つ一つ追いかけました
それは
茨木さんが、韓国語の単語を一つ一つ憶えていくのとそっくり。
意味が分からないまま、読み進み
なかなか前に進めないもどかしさのなかで
小さくわかって、小さく前に進み
それを続けることで、少しずつ前に進んだ
なぜ、自分がそうしたのか、正直分かりません。
茨木さんが、そうやって、一つ一つ前に進んだって言っておられるように
私も、そうやって、一歩一歩前に進むしかなかった。
茨木さんは、言葉という世界の中で
韓国語と日本語の何かを感じながら、前に進んでおられたんだと思うんだけれど
私の場合
料理とは全く違う世界なので
正直、一体何がそんなに私を突き動かしているのか
いまだに、よくわからない。
分からないんだけれど
ただ、すごい力で突き動かされていきました。
だから、日々嫌になって、投げ出したくなるのだけれど
それでも、やっぱり、突き動かされる力は、けっして弱くなることはなく
その力が私をとらえて、どうしても辞めさせてくれない。
これを、どう説明したらいいのか分かりません。
こんなに、落ちこんがり、嫌になったりしているのに
なぜやめられないのか
茨木さんが、韓国語を学び始めてから
この本を出されるまでに14年かかっています。
それを思うと
まだ2年くらいで
何かが分かるわけないのかもしれません。
そう考えると
分からないってことは
分かちがたいってことだから
それだけ、縁が深いってことなんだろう。
もう、やめてやる!!絶対にやめてやる!!
って言いながら、
やっぱりやめられないんだろうなってことも
心のどこかで分かっているのです。
やめたいのよ
本当やめたいの
でも、やめられない。
このまま14年くらいやり続けたら
何かが少しは見えるようになっているのかな。
っていうか
まさに今
分かりつつあるんだと思う。
分かちがたいものとつながり
それに向かって、少しずつ分かりつつあるんだと思う
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