家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
読むと書くの教室
今回から新タームで
シモちゃんの講座ではなくなったのだけれど
やっぱりシモちゃん講座ってことで。
今回のテーマは、表現とは何か。創造するとは何か。
今回は、みんなで話し合う時間とかもあり
いろいろ考えさせられました。
私が、一番考えたのは
この講座の趣旨とはたぶん全く違うんだけれど
これまでの子育てのこととか、自分の人生のこととか
これでよかったのか、違う選択肢もあったのか
そんなこと
というのも、モンテッソリー教育の話が出てきて
モンテッソリー教育を受けた子どもたちって
内からの促しで、みるみる字を覚え
内なる衝動で、書きまくるのだとか
きっとのびのびと、いろんな才能を伸ばしていくんだろうな
すごいなあって思った一方で
うちの子供が小さい時、
こういう教育を受けさせる選択肢が
自分の中になかったことを思ったのでした。
確かに、周りの人たちは
いろいろ調べて、子供の将来のために
少しでも良い教育を、良い環境を与えてあげられるようにって
いろんなことを調べて、慎重に選んでいた
でも、私は、やらなかった
実は私の父は、
机の上の勉強なんてしなくていいと言って、私を育てたのです。
私が内に持っている育つ力を
父は信じていたし
あるがままに成長していくのをよしとしてくれた。
だから、私も、自分の子どもたちには
勉強しろと言ったこともなく
成績なども、まったく気にせず
感性だけは豊かに、そう思って育てました。
でもね、正直、世の中はそんなに甘くなく
なんやかんや言っても、学歴社会で
成績が悪ければ、生きる選択肢もおのずと少なくなる
それくらいのことは私にもわかっていましたが
それでも、その子自身の生きる力で生きていく事が
最善だと信じていたのでした。
自分らしく成長するという事は
人と違う成長をするという事で
人と違う生き方をするという事は
はっきり言って、とんでもない苦労をすることになる
それもまた、生きるための糧だと、その当時は思っていました
苦労したとしても、それは人生の宝物みたいなものだと
本当に思っていたのです。
けれど、今日の講座の話を聞いていると
もしかしたら、
私は、忙しすぎて、そこまで考える余裕がなかっただけなのかも
そんな風にも思えてきたのです。
幼稚園に入れる時に
ちゃんと調べて、
モンテッソリー教育みたいな教育を受けさせる選択肢もあったはず
もっと普通に、この社会に順応できるやり方もあったはず
なのにやらかなかった
それは、私が自分のことで背一杯だったからじゃないのか。
めんどくさかっただけじゃないのか
いろんなことが、頭の中をぐるぐるしました。
結果として、
今はみんな幸せに暮らしているけれど
いらぬ苦労をせずに済む選択肢もあったのかもと思うと
申し訳ないような気持ちになりました。
何がよかったのかな。
人生について、いろいろ考えました。
自分の事だけだったら
後悔はなく、いろんな苦労も全部受け入れているんだけれど
子供のことを思うと
やっぱり、いらない苦労もさせたなと思えて
切なくなる。
私の人生に、子供たちを巻き込んでしまったことを
これから先も、申し訳なかったなと思いながら
生きていくんだろう
だから、ただただ
子供たちが、これから先、幸せに暮らしていけることを
ただただ祈っていて
ただただ、祈るしかできない自分に、歯がゆかったりしているのです。
考えても仕方ないけど。
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