でいりいおくじょのBLOG

2025.07.31

頭を空っぽにして考えた‥。

いろいろ考えすぎると

本当のことを見失うような気がして

 

今日は朝から1本zoom会議をした後

お風呂の掃除をして

おしゃれ着洗濯をして

それから、なべかま通信のイラストを描いて

(なべかま通信72号、近いうちに発行しますよ~~~~)

 

とにかく、難しいことは考えず

一日、頭の中を空っぽにして過ごしました。

 

改めて詩のことを考えたんです。

 

もう詩を書かなくてもいいかな、とか

詩なんてなくてもいいかな、とか

詩の教室、やめちゃおうかな、とか

 

じっくりじっくり

自分に問うてみたのです。

 

たぶん、半年くらい前の私だったら

詩なんて、全然必要なくて

もう、全然スパッとやめられたと思うんだけれど

 

驚いたことに

詩なんて、必要ない!

って、言いきれなくなっている私がいる。

 

なんでだろう?

 

言葉との関係だな、これは。

 

本を読む

エッセイを書く

こんな風にでいりいおくじょのを書く

 

それだけで、これまでは満たされていたはずなのに

それだけでは表現できない何かが、私の中にあって

それが、深いところに突っかかっているのです。

 

それを、外に出すのに

エッセイや、話し言葉ではだめで

 

たぶん、詩のようなものでなければ、吐き出せない

そんな感じがしている。

 

何なんだこれ。

 

別に、詩が好きなわけではなく

詩を読みたいわけでもなく

詩について知りたいわけでもなく

 

でも、なんか自分の中に突っかかっているものを

吐き出したいだけ。

 

全く理解不能。

 

でも、作品としての詩を書きたいわけではないので

教室に通って、詩を学ぶ必要などない‥

 

だから、やっぱり教室はやめてもいいのか…。

 

でも

教室をやめてしまったら、深いところでつながっていた詩との関係が

プチっと切れてしまいそうで

その細いつながりは、切りたくない・・・・。

 

そうか、作品としての詩を書く事には興味がないけれど

詩は、私にとって、何かとっても大事なものになりつつあるんだ。

 

自分自身と向き合うために

自分自身を知るために

本当の自分と出会うために

 

私は詩と一緒にいたいんだ。

 

うん、きっとそう。

そう思った。

 

でも教室に来ている人は、みんな書ける人ばっかりで

正直、こんなに書けないのは

う~~~ん、つらいなあ‥。

 

でもやめたら、詩との関係も終わってしまうので

とりあえず、詩の教室は継続することにしました。

 

もし教室にいるのがつらくなれば、Zoomにし

Zoomでもしんどくなれば、音声講座にし

 

そうやって、自分の心に負担がかからない接し方で

詩とつながっていけばいいのではないかと思ったのでした。

 

詩とつながっていたい

詩がなくなったら、自分を見失う

 

そんな気持ちになるなんて

自分でも不思議。

 

ゲージの角に合わせて、四角いボク・・。

コメント

  1. ママデューク より:

    自分の内から湧きあがる、書きたい表現したい気持ちがあるのは羨ましいです
    書いたり表現したりするのは、最終的には自分自身の救済の為ではないか?とボクは感じています。
    もし心の底から書きたい表現したい事があるのなら、他人の評価や書き方表現の仕方の上手い下手に関係なく、自分の救済の為に、書いたり表現したりすれば良いのではないか?と今のボクは感じます。
    そうなって来た時に書く事表現する事が生きる事に同期して、書く物表現する物がその人しか出来ない物になり、そうやって書かれたり表現された物は自ずとオモロくなるのではないか?と今のボクは感じています。
    なんだか良く分からないですね。すいません🙇‍♂️
    話は変わりますが、なべかま通信楽しみです😃前よりもペースが明らかに早くなって、このペースなら目標の100号も実現できそうですね😃
    それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

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