家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は、井筒先生の
「イスラーム哲学の原像」
イスラーム神秘学って何やねん?の講座です。
ホント、なんやねん?なんですが
この講座の前にやっていた「神秘哲学」よりは
なんやねん?感は少なめ。
講演録ってこともあるのかな
なんとなく仲間に入れてもらっています。
自分で思っているだけかもしれませんが。
今日の話で一番心に残ったのは
AかBか、どちらを取るか、迷った時
AかBかで迷うのではなく
AでもなくBでもない、Cという選択肢を見つける事で
AもBも小さく手放せるという話。
ああ、なるほどねって思ったんです
すぐに思い浮かんだのが
先日の私の詩の講座のこと。
詩の講座を続けるか、やめるか
詩の講座を続けても、私なんか話にもならないし
かといって、やめるとなると、きっと挫折感に苛まれる
A:詩をやめる
B:詩を続ける
AかBかを選ぶとなると
たしかに、ごそっと大事なものを失う感じ。
実は、あの時、思い浮かんだのが
森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」
っていう歌だったんですよね。
歌詞の中にある
いっそ小さく死ねばいい
っていう歌詞を思い出したのでした。
そうそう
AもBも辛いなら
いっそ小さくやめてみればいい。
そうして、小さく続けてみればいい。
そう思ったんです。
自分ができる範囲で
できるレベルで
プチッと関係を切ってしまうのではなく
小さく細く、つながっていく道
そうすることで、
何が何でも、詩を書けるようにならなくっちゃっていう
執着にも似た思いを捨てたんだと思う。
別に、上手く書けなくても、
詩とつながっていられたらいいやって
そう思えたんですよね。
思えば、もうかれこれ20年近く前になるのか
いろんなことに落ち込むたびに
この歌、本当に、よく聞いていたし、よく歌っていました。
生きるのでも、死ぬのでもなく
AでもなくBでもなく
どっちでもない、生き方をするという選択肢
選択肢は2つだけじゃなく
第3の選択肢もある
そして、どんな選択肢を選んだところで
結局は、同じところに行きつくんじゃないのかな
たぶん、本当に自分にとって大事なところ。
そう思ったら、すごく気持ちが楽になった
今日は、講座の中で
そんなことを思い出させてもらい
小さく手放していく事で
本当に大切なものに近づいていくのだという事を
改めて思いました。
20年前よりも、今の方が
ずいぶん身軽になっていると思える
うん、自分なり、小さく手放せている。
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