家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は詩の講座です。
ここ数か月
吐きそうになりながら、自分なりに努力して
それでもやっぱり、詩の事なんか何にもわからなくて
正直、これはもうダメなのかもって思い始めていた。
ところが今朝
例によって、朝5時から起きて本を読んで
それから、音声講座を聞いていたら
突然、ある言葉がスーッと入ってきたんです。
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僕が高橋先生に教わった、最も大事なことは
道程にこそ意味があるという事でした
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正直、その講座はもう何回も聞いていて
ある程度話の流れも、話されていることも覚えているし
ここの部分も、これまでに何回も聞いているし
これによく似たことも、いろんなところで話されているのに
今朝はまるで、初めて聞くみたいに
スーッと言葉が染みた
そうだよな。
結果ではなく、道程にこそ意味がある。
その時は、何かわからなかったんだけれど
何かとても大切なメッセージを受け取った気がしたのでした。
そんなことを思いながら受講した今日は詩の講座。
今日の講座ではシュタイナーの十二感覚の話が冒頭にあって
感覚、感受性、感性の違いのようなことを考えているうちに
ああそうか!!と気づいた。
そうか、
私はもしかしたら詩を書きたかったのではなく
この感覚、感受性、感性を鍛えたかったんだ。
感覚を鍛えることで、もっと深く自分というものを知りたかったんだ。
そのために、詩を書き、エッセイを書いていただけで
詩を書いたり、エッセイを書くことが目的ではなく
本当の目的は
もっと深く自分とつながること
その事を願っていたんだ。
そんなことに、ようやく気づいた私でした。
自分を知る
本当の自分とつながる
そのために詩を書き、エッセイを書く
ならば、
詩もエッセイも、別に上手にかける必要などなかった
どれだけ深く、どれだけ真摯に問いと向き合えたか
その事が大事。
つまり、道程に意味がある。
そうか~~~。
その事に気づいた時
急に息がしやすくなった
今回提出した詩が、上手く書けたかどうかは分からないけれど
これを書くために、深く深く、真摯に自分と向き合った
そう、必死に向き合った。
そうか、それでよかったんだ。
エッセイの方は、
今、上手に書けたかどうかなど、まったく気にならない次元まで来ているのだけれど
詩も、ようやくその次元までたどり着けたみたい。
さてさて、
詩とエッセイ、ようやくスタート地点に立てました
これから先、どんな自分と出会えるんだろうか。
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