家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト

昨日の詩の講座で
何かができないで苦しいというのは
できないはずはないと思っているからで
それは、つまり希望があるという事だ
という話があった。
詩が書けないで苦しいのは
自分に詩が書けないはずがないと思っているからで
その苦しみが大きければ大きいほど
書けないはずはない、
絶対に書けるはずだ
と、希望を持っている……
ということらしい。
そうなのかぁ・・・・。
って思った私だったけれど
講座が終わってから
一緒に学んでいる友人たちから
この教室で一番希望を持っているの、奥薗さんだね
って言われて
おお~~っ!?
そういうこと⁉
ってなった。
毎回、毎回、
講座が終わった後、がっくり肩を落として
書けない書けないって言っているし
前回の講座の質問コーナーでは
私は、毎回毎回奈落の底に突き落とされています
って、先生に訴えてしまった。
(よくゆーたわ、私…冷や汗‥‥)
その撃沈している姿を見せまくっていることもあって
友達からは、いろんなアドバイスをもらうのです。
私、ホント何やってだ…って感じです。
すいません。
で、昨日の会話。
友達から
「今回は、先生から良い事を言ってもらえてよかったね」
って言われて
どんないいことを言われたのか、
私は全く分からなかったっていう話。
一日考えました。
言われたことは多くないのです。
何かをほめてもらったわけでもなく
詩に触れてもらったわけでもなく
短いコメントをもらっただけです
その短いコメントとはこう。
どこに優しさがあったんだろう?
**********************
このまま書き続けて下さい。
そうすれば、自分で自分の詩を読んで、直せるようになる
**********************
私は、これを乞う受け止めた
あなたは、今、詩を全く分かっておらず
自分の詩を読むことも、直すこともできないレベルだ
とりあえず、書いてれば、そのうち、なんとかなるかも‥。
なんだかな~~~
1年半、真面目に学んで、まじめに努力して
ここにきて、まだ、こんなことを言われるのか・・・。
一年半学んでも、ダメなところだらけで
何にも書けていないと言われている気がしたのです。
それでがっくり落ち込んだ私だったのです。
けれど、一晩考えて
冒頭に書いた希望の話を思い出して
それから、あらためてこのコメントのことを思うと
なんと、景色が一変した!!!
こって絶対肯定の言葉!!!!
もしかして、めちゃ励まされている????
って思えてきたのでした。
このまま書き続けたら
絶対に書けるようになる
そうやって描けるようになったなら
誰かの評価に惑わされることなく
自分で自分の詩を読み、詩を直し
きちんと自分の詩を評価できるようになるだろう
そういっていると思えた
更に言えば
先生は、私を信じている。
私が書き続けることを
先生は確信している。
絶対、ここでやめない
やめるはずがないって
強い確信が、コトバから伝わってくる。
うん、間違いない。
なんで?
何が起こった?私?
でも、そう思って、自分の詩を見て見ると
確かに、書けていない
書けていないけれど
一年半前とは、明らかに違う
なんなら、詩に向かっている態度も、明らかに違う。
その自分の変化に気づいていないのは
私なんだ。
書けてない事と、前に進んでいない事は違う。
そんな気がしてきた‥。
私はいったい何やってんだろう?
こんなにみんなに優しくしてもらって
こんなに一杯励ましてもらって
なのに、ダメだダメだって下を向いて
猛烈に反省しました。
絶望から希望へ。
絶望と希望は、コインの裏表なのね。
今、コインがひっくり返った。
感謝感謝、感謝してもしきれない。

コメント
やないたかしさんの養父(叔父)が朝ドラ「あんぱん」で言っていましたよ。
たかしの思春期に前途に失望して家出して、明け方線路に頭をかけて汽車にひかれて自殺しようとして、やっぱり怖くなり起き上がり、養父寛さん
ヤムおんちゃんに見つけられて、寛さんに叱られることもなく「絶望の隣は希望だ」と言われます。人生はあざなえる縄のごとし、人生万事さいそうが馬と言
ういい格言故事があります。
そうですね、人生何があるか分かりません
今目の前にあることが、その時はものすごく悪いことに思えても
後から振り返れば、とてもありがたい事だったり。
そういうことはしばしばありますね~。