でいりいおくじょのBLOG

2014.09.07

読書日記「家族狩り」1~5(天童荒太著 新潮社)

テレビの「家族狩り」、終わってしまいましたね。

作者の天童荒太さんがこのドラマについて語っておられるのを見て

原作を読んでみたくなり、読みました。

本当は、ドラマのほうも見たかったのですが

結局見る時間は取れず、何とか最終回のみ、見ることができました。
 

そもそもこの小説は、

1995年に発表され、山本周五郎賞を受賞

その後文庫化されるときに、大きく加筆されました。
 

あとがきにご本人が書かれているところによると 

今の時代は意見を反映した物語として手を加え

今の時代に投げかけたいテーマを的確に盛り込んだ物語として、世に送り出したいという思いで、大きく加筆されたらしい。
 

そして、今回テレビのドラマ化になる際には

制作、脚本にも、大きくかかわってこられたそう。
 

もう、こうなると読むしかありません。
 

文庫本で5巻というのは、結構な長さですが

テンポの良いストーリー展開と、内容の興味深さで

まったく長さを感じずに、一気に読ませます。
 

一応、あらすじを書くと

刑事の馬見原、高校の美術教師の須藤、児童相談所職員氷崎

それぞれ、家族の問題を抱えながらも、それぞれの仕事を全うする日々。

ところが、一家無理心中事件をきっかけに、見えない糸でつながり、翻弄されていく。

事件は本当に無理心中なのか、他殺事件なのか。
 

物語は、この事件を軸に、

それぞれの登場人物の親子問題、夫婦問題、兄弟の問題などが次々にあぶり出していきます。
 

ただ、こういう家族の中の問題って

外からは全く見えず、そこに住んでいる家族でさえ

その人間関係が少しずつ何かに浸食されているのに気付かない、

あるいは、気づかないようにしながら暮らしていたりする。
 

それは、まるでシロアリが家を侵食していくさまと同じ。
 

ある日床の一部がへこむ感じがして、変な音がする。

けれど、いつしかそれに慣れてしまう。

本当なら、そこで手を打っておけば大きくならなかったことが

そこで、見て見ぬふりをした結果、気がついたときには、家全体がシロアリにおかされて、もはやそこには暮らせないほどに壊れている。

壊れてみて、初めて、何が起こっていたかに気付くがもう遅い。
 

まさに家庭崩壊のプロセス。
 

子供のころからプライベートな時間や空間が尊重されることが当たり前になった世代が

今、大人になり、人の親になった。

プライベートな空間や時間をあたりまえの自分の権利と考えることで

他人と時間や空間を共有することが窮屈で苦痛になる。
 

自分の目に見えないテリトリーに人が入ることを嫌う癖に

自分は無神経に、人のテリトリーに入っている可能性がある。
 

人とつながっていないと不安なくせに

自分のテリトリーに誰かが入ってくるのは不愉快。

親子だから、兄弟だから、夫婦だから

かつては家族だから許された境界線が

家族でも許されない場合がある。
 

プライベートな空間があたり前になったことと

人と人との距離感がうまくつかめなくなったことの間には

何か関係があるに違いない。
 

自分のテリトリーを守るために扉を閉め

結果、言葉で伝えることを放棄し始めた気がする。

そっと、黙っておくことが

まるで、一番思いやるのあることのように。
 

でも、本当にそうなのか。

扉を閉めちゃっていいのか、言葉で伝えないでいいのか

見て見ぬふりをしていないか。
 

ドラマ最終回で氷崎游子が言うセリフ
 

「家族をひらく」
 

このセリフが、この物語の核であり

今の時代のテーマだと思う。
 

家族をひらくというのは

家族のことは家族の問題だと、扉を閉ざしてしまうんじゃなくて
 

家族の一人一人が、社会とつながっているということを認識して

そのつながっている大きな社会全体のなかで

自分たち家族は生かされているのだという風に考えてみることではないかな。
 

自分たちの問題を自分たちだけの問題にしないこと。

だからと言って、プライベートなことをなくして何もかもオープンにしろということではなく、

家族のことだけを考えるのでなく、誰かのために何かをやることが

巡り巡って、家族に帰ってくる、というような、そういう考え方をするということ。
 

私もかつて、自分の子供が反抗期のとき

自分が一体何ができるのか途方にくれたことがありました。

自分の家族、自分の子供のことは自分でなんとかせねばと悩み苦しんでも

なんら、解決方法は見つからなかった。
 

けれど、ある時、

子供ではなく、遊びに来る子供の友達にご飯を作って食べさせようと決めた。

そして、おにぎりとみそ汁をせっせと作る日々。
 

その時は、いろんな思いが頭と心の中にいっぱいになっていたと思うのだけれど

結局は

自分の子供も誰かのお世話になって、ご飯を食べさせてもらったり

悩みを聞いてもらったり

そうやって、救われているに違いないと思ったんだと思う。
 

私も、何かよその子供の役に立つことをすることで

巡り巡って、自分の子供にしてもらったことへの恩返しになる。
 

自分が誰かのためにできることをやる。

同じように、自分も家族も、目に見えないところで、だれかのそういうやさしさで救われてきたのだから
 

そう思えたとき。

私自身、暗闇の中に少し光が見えた気がしました。
 

今、私は子供たちも大きくなり

一応、子育ても大詰めを迎えています。
 

振り返ってみると、自分が子供たちにしてやれてことなど、本当にほんの少しで

ほとんどの大切なことは、周りの友達や親以外のおとなから、たくさんの影響を受け

たくさん守られ、たくさん学ばせてもらった気がします。
 

考えてみたら、私自身もそうやって大人になったんだと思う。
 

「家族狩り」

この本は、自分の生きてきた時間を振り返り

親子、兄弟、夫婦、そんな人間関係について、

改めて、考え直してみるきっかけになる一冊です。
 
 

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今日の「日めくりレシピ」は週末スペシャル!

「つるむらさきと豚肉のオイスター炒め」
 

ぬるっとした独特の食感のツルムラサキ、ちょっと濃いめの味付けにすると、とっても食べやすくなります。
 

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詳しくは奥薗壽子で検索してみてください。
 

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