家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト

今日は詩の講座です。
詩の講座は、一つ山を越えたつもりだったので
もう落ち込む込むことはないと思っていたのですが
今日もやっぱり撃沈しました。
人間できてないわ、私。
課題として提出した詩を
一つ一つ先生が講評されるんだけれど
上手い人はめちゃめちゃ上手く
そういう人の詩は、当然ながら、先生大絶賛!
それはもう、私とは別の世界の話だから
羨ましがったりはしない。
先生が大絶賛されない詩でも
どこかにいいところはあって
ここの、この言葉がいいとか
この表現がいいとか
何かしら、褒められるんです。
表現の仕方や、言葉の使い方で褒めなくても
全体の流れがいいとか
そういう褒め方をされる詩もある。
褒めなくても、
ここをもう少し考えてみてください
みたいなアドバイスをされることもある。
ところが私の詩は
書いた詩について、一言も触れてもらえず
別の話をされて、終わった。
なんで?
あの・・・・詩、書いたんですけど‥。
一応、詩、提出したんですけど‥。
と言いたくなった。
でもまあ、つまり、そういう事なのよ。
全く、いいとこなし
触れるべきことは何もないってことなんだろう。
・・・・・。
自分では、かなり努力をした
毎日、詩を読んで、書き写して
課題の詩も、いくつも書いて
何度も書き直して
できる限りのことはした
でも、努力は報われない
良いところが一つもないとはね。
そんなことある?
今日は、久しぶりに泣きながら帰った。
駅から家までの帰り道
ちょうど雨が降ってきたから
傘もささず
ボロボロ泣きながら
ずぶ濡れになって帰った。
2年前、教室に通い始めた頃
毎回、こうやって泣きながら帰った
あの頃を思い出すなあ。
結局
あの頃と何にも変わっていないという事か‥。
辛いなぁ。
ところが!
その後、ご飯を食べながら
今日の講座の事をいろいろ思い出していたら
講座の一番最初に先生が言っていた
たい肥の話を思い出した。
有機栽培のりんごって
全部収穫しないで、半分残し
その半分がやがて枝から落ちて土にかえり、たい肥となって
次の年のりんごを美味しくする‥と。
待てよ。
冷静になって、静かに、ゆっくり考えるんだ。
この話は何なんだ。
落ち着いて、最初からゆっくり考えるんだ。
考えるんだ
考えるんだ。
・・・・・・・。
・・・・・なるほど
私の書いた詩は、言って見れば、まったく収穫してもらえなかったけれど
たい肥にすることはできる。
そうか
この悲しさと、この悔しさと、この苦しみを
たい肥にできるかどうか
それは、
このことを、私がどうとらえるかにかかっている。
ゴミだと思って捨てるのか
たい肥だと思って、大切にゆっくり発酵するのを待つのか
たい肥にするには時間がかかる
それが待てるかどうか
そうか
それが試されているんだ。
中途半端な気持ちでは、たい肥は作れない。
待つ覚悟
うん、それが試されている。
詩が書けない苦しさから逃げないで
眼をそらさないで
しっかり向き合って、書き続けたなら
その悔しさや、苦しさや、悲しさは
やがて、ゆっくり発酵して
詩を書くための、大事な栄養になる
そうだ。
大事なのは
それを信じられるかどうか
信じて、ここで踏ん張れるか。
どうだ、私?

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