家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト

今日は読むと書くの教室です。
今日も、めちゃめちゃ濃い時間でした。
今日は、最初に探求と探究について考える時間があり
「求」と「究」はどう違うのか
を感じ分けてみるところから始まりました。
この二つの違いは、分かるのよ。
求の方は、外に答えとか、結果を求めることで
究の方は、語りえないものを内面に究めること。
で、問題はここから
自分は、一体何を究めようとしているのか
このことを、ずっと講座の間中考えていたんだけれど
私が究めようとしているのは、やっぱり料理だと思う。
けれど、私の場合家庭料理なので
家庭料理を究めるってどういうことなのか。
例えば、文筆家(小説家とか、批評家とか)が
書くことを究めるとなると、発表するのをやめるしかない
って先生が言ったのは
すごくわかるって思った。
家庭料理研究家が、家庭料理を究めるには
どこにも発表しないで
本当の意味で、暮らしの中で料理を作って食べる事
これに尽きる。
どこかに発表するでもなく
誰かに見せるでもなく
暮らしの中で、料理して食べることが
淡々と繰り返されていく
そういう状態で暮らすことができた時
私は、家庭料理を究めたって思えると思う。
そんなの、料理研究家以外の人は、みんな当たり前にやってるやん
って思うかもしれませんが
そのあたりまえなことが
料理研究家という仕事をしている間は難しいのです。
80歳とか90歳になって
淡々と日々のご飯を作っていたら
それめちゃすごいなぁって思う。
そのためには、どこかで
仕事として料理をすることを手放し
緩やかに、暮らしというものにスライドしていく事
それを、いつから、どんな風にスライドしていくのか
実はもうずっと考えていることなのです。
一歩踏み出す勇気がいる
なかなか難しいです。
今日の講座でもう一つ大事なことを学んだ
それは
結果を見るのか
道程を見るのか
という事。
何かを究めたいって思うと
究められないとだめみたいに思うけれど
究めようとしている、どのことがもう素晴らしい
自分では、なかなかそんな風に思えないんだけれど
そうなのよ。絶対。
だからね、
完璧に究められなくても
一歩踏み出せたなら
もうそれで十分素晴らしい。
だからね。
自分が本当に究めたいと思っている事に向かって
まずは、何か一つでもアクションを起こしてみる事
小さなことでも、アクションを起こしてみる事
いや、アクションを起こしたいと思い続ける事
これでもいい事にしよう。
人は、望んでいるものを手に入れるらしいから。
結果じゃない
道程が大事
道を究めようとするのは、難しい。

コメント
勝手なことを言ってすみません。
以前に「上手くいくかどうかわからないけれど、やってみたいことがある」というようなことをおっしゃってましたよね。「これからはお寺に籠って精進料理の研究をします」というような方向かな?とチラッと頭をよぎりました。それと、まだまだきちんと食べていけない人が多いという現実があります。一般の人が作りやすい、美味しい、身体に良いものを考えてくださる先生だから、どこかの組織から世界の飢餓を救うためのプロジェクトにお誘いがかかっても不思議ではないし。。。とも感じました。いずれの方向に進まれても陰ながら先生を応援しています。