でいりいおくじょのBLOG

2013.05.09

ゆとりの世代orさとりの世代?

先日の天声人語に
1980年代なかば以降の生まれで、現在20歳代なかばまでの年代を
「さとり世代」と呼ぶという話が載っていましたが
それって、どうなんでしょう?
私の子どもは2人共この年代です。
もろにゆとり教育をうけ
あげく、ゆとり教育の失敗と言われた世代。
 
詰め込み教育は良くないということで
週休2日制が導入され
授業数が減らされ
結果、ゆとりが出来たのは一体誰だったのか
 
右肩上がりの成長を知らずに育ち
車もブランド品も欲しくなく
海外旅行にも恋愛にも興味が薄く
将来偉くなりたいと思わない
 
結果を悟り高望みをしない世代
だから、悟りの世代なのだと、天声人語には書かれていました。
 
何事も頑張らないで、すぐあきらめると揶揄され
やっぱりゆとり教育はダメだったなあと結論付けられ
今度は、それを“悟り”と言われた所で
結局、言葉を変えただけじゃないかと思ってしまう。
 
確かに昭和生まれの私から見れば
もう少し頑張れるんじゃないかと思うこともあるけれど
 
そもそもの価値観が、もはや違ってきているわけで。
 
昭和の頃は
いい車に乗っていたりブランド品を持っていることが
一つのステイタスだったし
それは、言ってみればお金があるとか、社会的地位があるとか
そういうものさしが、一般的な豊かさとか幸福の基準で
一億総中流と言われたあの時代に
そういうものを持っていることが
頭一つ上にいるような気持ちにさせたんじゃないかと思うんですね。
 
でも、この世代の子達って
車やブランドを欲しがらないのは
別にそれが自分の幸福感につながるなんて思ってないからで
欲しいとも思わない以前に、
もっと興味のあるものが別にあるわけで
自分が楽しいとか嬉しいとかって感じる基準は
昭和のあの頃よりもずっと多様化しているんじゃないかと思うんです。
 
しかも、興味の対象がもっと細分化されている。
みんなが同じものにわ~っと群がって
みんなでいいね~それって言うようなのはとは、もはや違っていて
もっとちっちゃな世界の中で
わかりあえればいいって言うような感じに見えます。
 
会社に入って出世するということも
高度成長期のあの時代では、みんなそういう方向に向かって進んでいたけど
今、会社で出世する以外に、いくらだって幸せな生き方はある。
 
偉くなろうとしないんじゃなくて
会社に入って出世するということに
一体何の意味があるんだろうかと、思っているんだと思うのです。
 
それを、“悟り”と呼ぶのは
正直、違うと思うんですよね。
 
悟りというのは、
全てを達観して、欲も得も無くして
自分というものをある意味無くしてしまうようなことを言うんだと思うんだけれど
そうじゃないと思うんです。
 
この世代の子たちは
決して、この状況に安住しているわけでもなく
選択肢があまりにもたくさんあって
その選択肢も、昭和の人間なんかよりもはるかによく見えているからこそ
そこに苦しみ、もがき、時に立ち止まり、
また、自分を守るためにあきらめたりする
 
ただぶつかって、傷つき撃沈するよりは
ある所で身を引いたほうが賢いということも、よく知っている世代なんだと思う
それは別にマイナス要素ではないし
 
昭和の人間のように、がむしゃらに進んで行かないからといって
別に冷めているわけでも、悟っているわけでもないんじゃないのかな。
 
私は、自分の子供世代の若者達を見て
決して冷めているとも思わないし
むしろ昭和にはなかった、新しい形のエネルギーを感じて
時に、ああ、こんな秘めた力を持っているんだと感心することもあります。
 
だから、ゆとり教育は失敗だったとか
悟り世代とかって言葉は、私は使いたくない。
 
むしろ、この年代の持つエネルギーや目の付け所に
昭和が学ぶべきところもたくさんあると
私は思っていたりするのです。

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