でいりいおくじょのBLOG

2014.03.09

料理日記 『50歳からの勉強法』(童門冬二著 サンマーク出版)

著者の童門冬二さんといえば

このところ『上杉鷹山』が人気ですね。
 

上杉鷹山って、私も日本史の授業で習った記憶がありませんでした。

最近、にわかに脚光を浴びたのは

キャロライン・ケネデイー駐日大使がスピーチの中で

父であるジョン・F・ケネデイーが上杉鷹山の優れた政治力と

民主的な考え方を称賛していた、ということを話したことによります。

上杉鷹山は

九州の小さな藩から米沢藩に19歳で養子に入り

その当時莫大な借金を抱えてきた藩の財政を

55年もかかってコツコツと立て直した人。

その民主的な考え方で、そこで暮らす人々の視点に立った改革をすすめ

無駄を省きつつ、藩の収入を増やす策をめぐらし、新しいアイデアを打ち出して

改革と倹約に抜群の手腕を発揮した

日本を代表する名君中の名君・・・・らしいのです。
 

・・・らしいというのも

正直、私も今回はじめて鷹山を知って、慌てて本を読んだのでした。
 

なせば成る、なさねば成らぬ何事も

成らぬは人のなさぬなりけり
 

この言葉は有名ですが

この言葉をおっしゃった方こそ、上杉鷹山なのです。

(言葉は知っていましたが、鷹山が云った言葉とは知りませんでした!)
 

実は一ヶ月くらい前に、

新聞に童門冬二氏のインタビュー記事が載っていまして
 

武田信玄は、隠居した後も名声を独り占めしようとして

息子の勝頼を家臣の前で罵倒した。

名将であったが、二代目養成という意味では愚将だ。
 

一方、黒田官兵衛(NHKの大河ドラマ)は

自分の息子にすべての名声をあげさせて自分は引退し悪者になる。

上杉鷹山は、早々に隠居して表向きの政治は息子に全て任せ

自分は財政立て直しの方に専念する。

上杉鷹山を書いた時には、鷹山の引退の仕方がいいと思っていたが

引退した後も息子の政治のやり方に、あれこれ口出しした鷹山のやり方は

いかがなものだったのかと思うようになった
 

というようなことを話をされていて

それがなんか、すごく面白いなあと思ったのでした。
 

愚者は過去に学び

賢者は歴史に学ぶ
 

と言われるように

歴史というのは単に研究の対象にしたり、知識で知って楽しいというだけでなく

それを今の自分の生活に当てはめて

どう生きるべきかという教えを得る教科書でもあると思うのです。
 

童門冬二氏は、そういう意味では

歴史の中で起こったことを、今の生活にどのように活かしていくか

ということを翻訳するのがとてもうまい歴史作家です。
 

その童門氏が

日々どのように仕事へのモチベーションをキープしたり

どのように勉強を続けておられるのかとか

そういうことを書かれたのがこの本です。
 

この本によれば

昔の人は年代ごとを節目として、人生設計をたてる知恵を持っていました。
 

孔子いわく

15歳で志学(志を立て)

30歳で而立(自立し)

40歳で不惑(心に迷いがなくなり)

50歳で知名(天からの使命を知る)

60歳で耳順(周りの言葉によく耳を傾け)

70歳で従心(こころのままに生きても、もはや間違いを犯すことはない)
 

ということらしいのですが

昔と今では多分、20年位人間の成長や成熟度がゆっくりな気がして
 

自分のことを考えても

もう自分の天命を知ってでんと構えていなければならないのに

まだまだ心迷うことばかり。
 

けれど、この本では、そんな迷っている私のような人間に

カツを入れ、どう生きるべきかとう方向を与えてくれます。
 

人生は起承転結ではなく、起承転転

人生の終息に向けて人生の後半を生きるのではなく

永遠に成長し続ける生き方をするべきだと。
 

そして50歳以降の日々を有意義で実りの多いものにするために

最も有効な方法が学びで

学ぶ事を忘れた時、人はほんとうの意味で追い始める

老いても学び続ければ、死んでも朽ちない
 

50歳を過ぎてから大切なことは

新しいことを模索するのではなく、

これまで培った鉱脈に鋤を入れること。
 

けれど、鉱脈を選ぶことは,ある意味他の可能性を捨てることにもなる。

50歳からの勉強法は

付け加えるよりも、削ぎ落とす方に重点を置くべきだ、と。
 

つまり、要約すれば

50歳になったからといって

迷わなくなったり自分の天命を知ったりできるわけではなく

50歳になったら

これまで生きてきた時間や道筋を振り返り

これから先の人生、大事にするものとそうでないものを振り分け

大事なものをゼロから勉強し始めること。
 

これは、例えば私自身のことに照らし合わせれば

今まで作ってきたレシピにとらわれず

一度全部白紙にして

その中から、大事な自分流のエッセンスだけを抜き取り

新たに、今の時代にあったレシピに変換させていく。
 

それは、これまで積み上げてきた料理の矜持を守り

自分のやってきた仕事に誇りと自信を持ちつつ

新しい時代の流れにも謙虚に耳を傾けるということ。
 

40歳を過ぎても心は迷いっぱなしで

50歳になっても、自分に何ができるのかまだ先が見えない私です。
 

けれど、一生料理をし続けたいというのが私の人生の目標なので

答えが見つからないからこそ、

一生試行錯誤し続けられるし

勉強もし続けられるのかもと思えました。
 

この本に載っていたルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュの言葉
 

「たとえ世界の終末が明日であろうとも

私は林檎の木を植える」
 

私も、自分の人生が終わるときでも

料理のレシピを考え続けていたい、と思いました。

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