でいりいおくじょのBLOG

2014.03.01

読書日記 『土を喰う日々』(水上勉著 新潮文庫)

 

折にふれて
 

大切に何回も読みたくなる本があります。
 

そして読むたびに新しい発見があり
 

背筋がぴんと伸びて
 

体の中に新しい力が行き渡る。
 

この本はまさに、そういう一冊。
 

著者の水上勉氏は

「雁の寺」とか「飢餓海峡」『五番街夕霧楼』『金閣炎上』等

その作品はたくさん舞台や映像になっているので

本で読んだことがなくても作品名は知っている、という方も多いのではと思います。
 

この本は、水上氏の仕事場である軽井沢の家で

畑を耕し、野菜を育て

月に2~3度お手伝いをしてくれる方に休みを出して

自分で料理をして食べる

そんな生活を月ごとの季節の食べ物と絡めながら書かれたエッセイです。

一年間の暮らしがまるでカレンダーをめくる感じで読め

毎日バタバタと暮らし、寒いなあとか、暑いなあとか

そんな風にしか季節を感じなくなってきている自分の暮らしを反省し

もう少しゆったりと暮らしてみるのもいいかなと思える本です。
 

水上氏は、9歳の時から禅宗寺院の庫裡で暮らしていたという経歴があります。

つまり禅寺でお食事のお手伝いをしながら暮らしていたわけです。
 

禅宗というのは日常の暮らしそのものが修行という考え方。

道元禅師の「典座教訓」などは有名ですが

湯の沸かし方、火の炊き方、めしの炊き方はもちろん

野菜を洗った水も、野菜をゆでた水も、大根の皮もしっぽも

全てに命があり、有りがたくいただかなければなりません。

日常のあたりまえのことの中にこそ仏の教えがある、という考えなのです。
 

小僧の頃からそういう教えの中で暮らしてきたわけですから

身についた、食べ物、命との関わりというのは

一見ストイックです。

けれど、ストイックなだけではなく

結局は、土とそこに育つ植物と、微生物と

すべての命に対する感謝というか、温かさや優しさで満ち溢れているのです。
 

例えば

ほうれん草の根っこの赤いところ

ここは土が中には入り込んで洗いにくいし

味もなんかちょっと土臭い時があるので

小僧だった水上氏は、

そこを切り落とし、葉っぱのきれいなところだけを使っておひたしにするのです。
 

それを見た老師。

別に怒るわけでもなく、さらりとこうおっしゃる

『いちばんうまいところを捨ててしもたらあかんがな』
 

もったいないから捨ててはいけない

というのではなく

一番うまいところを捨ててはいけない、と。

こういう心、ついつい忘れがちだなあと反省。
 

もったいないとか

面倒くさいとか

手間がかかるとか

そいういうのって、作る側、その野菜に接する側の都合です。
 

野菜の側から見れば

葉っぱも根っこも、皮も、しっぽも

どれが上でどれが下というわけではなく

野菜の持つエグみも、泥臭さも

全部含めて、ほうれん草であり、大根であり、人参なのです。
 

その一つ一つの個性を

いとおしみ、大切に味わう

これぞ土を喰うということ。
 

春から秋の実りの季節にも

決して、強欲に食をむさぼるのでなく

来るべき冬に備えて、きちんと蓄え

冬になって畑に野菜がなくなったら

貯蔵庫に蓄えた野菜と手作りの保存食と乾物に相談して

日々の食卓を整える。

これもまた、土を喰うということ。
 

こうやって、命をいただき、命をつないでいく。
 

こういう本を読むと

ついつい自分の都合の方を優先しがちな自分の暮らしがあぶりだされてきます。
 

私自身、野菜は丸ごと全部いただきたいと思っているので

基本皮をむかないで料理はするのですが

(これは逆に、皮をむく手間が省けるので楽ちん)

ついつい泥のついた根っこを、丁寧に洗うのが面倒くさくて

包丁で切り落としてしまったり

使い忘れた野菜が冷蔵庫でシナシナにさせてしまうこともあります、反省・・・。
 

畑の代わりに、冷蔵庫にちょっと相談して

だめになりそうなら、刻んで塩でもんで漬物にしちゃうとか

やればいいのに、ついつい、明日明日と思っているうちに、気が付くと見て見ぬふり。

便利になったはずなのに、いつも何かに追われ

ほんのちょっとしたことも、面倒くさいと思う自分
 

恥ずかしながら

未だ、水上氏の境地にはまだまだ到達することは出来ず

毎日毎日反省の日々です。
 

だからこそ、折にふれてこの本を開いて

自分に活を入れてみたりしている私なのです。
 
 

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