家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は詩の講座だったんだけれど
なんだかもう、緩やかにやめたい気持ちになっていて
それならもう、教室に行かなかくてもいいか
って気持ちになって
かといって、休むのはなんかちょっと違うなって思ったので
Zoomで受講しました
Zoomだと
教室よりも、傷が浅くて済むような気がして
ところが今日は新タームの2回目で
なんだかめちゃ難しいことになっておる
私の書いた詩なんて
ごめんなさいっていうレベルを超えている
ああ、これって選ばれしものだけがついていけるやつだわ
って感じて
ずずずずずーーーーーーーーーーーーっと
気持ち後退して
置いてきぼりになったんです。
でも、はっと気づいて
ちょっと待てよって思ったんですよ。
これって、どれだけの人がついていってるんだ?
いや、もしかして、誰もついていってない!?
そんなことある!?
それが、そんなことが起こっているような感じ。
たぶん
今までの詩の感覚では通れない扉が開けられたんだと思う
だから、これまで詩をかなり書いてきた人
かなり上手な詩を書ける人も
初めて見る景色だった可能性あり。
皆さんの書かれた詩を一つ一つ先生が講評していかれんだけれど
これまでとは、まったく違う角度から光を当てられるから
たぶん、これまでの感覚でなら絶賛されたに違いない詩が
その扉の前に立つと、違うものに変わってしまうみたいな感じ
本来なら、絶賛されるべき詩と
私の書いた詩が
同じ扉の前で、横に並んでいる。
不思議。
いや、もちろん、横に並んでいても、遜色はあるし
たぶん次回になったら
そういう方たちは、すぐに感覚をつかんで
また素晴らしい詩を書かれるに違いなく
私は、やっぱり、へたくそな詩を書いているのだろう
でもまあ
今日は、みんな同じスタートラインの前にいるって感じです。
まずは、一つの言葉と出会い直し
感じなおすことから始めてみること。
そうすれば
こんな私でも、前に進めるみたい
それができたなら
こんな私でも私なりに進歩できるらしい。
分からないこと、できない事との関係を深めることを
叡智というのだそう。
だから、下手くそな詩の中にも叡智はあるらしい。
ただ問題は
そんなレベルの詩さえ、今は書ける気がしないという事。
自信がある人って、すごいな。
それだけで尊敬します。詩の講座に出るたびに思います。
コメント
奥薗先が感じられた、詩の「扉」のお話に、何か思い当たる気きがしました。
おそらく、私如きにも、何かを目指す時、料理を作るときにも、「扉」が現われて来たようにも思います。
目指さなければ、現われない何か が。
と、それよりも、今日の記事で、一番気になったのが、先生がご自分の詩を「カス」と、繰り返し言われているところです。
慢心よりも、ずっといいことではあるのですが、
他のお言葉が目に入ってこないくらい、何だか 心が痛みました。
ある方が、失敗も成功も、総ての歩みを飲み込んで、「今日の自分が、人生で最良の自分」と言われるのを聞いて、
目の覚める想いをしたことがあります。
とりとめのないことをコメントして、申し訳ありません。
何かを目指される先生のお姿に、いつも教えられています。
ありがとうございます。
コメント、ありがとうございます。不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
書き直しました。
ご指摘感謝いたします。
詩が書けない苦しみと、書こうと努力しても報われない悲しみを込めた詩を書いたのです。
一応、表面上は、そんな風には読めないような言葉で、平凡なありふれた詩として。
けれど、さらっと一蹴されました。その時の言葉に、けっこうグサッときて
他の人は、誰も気づかないような事だったのですが
その時に、ああ、カスみたいな詩だったんだなって思ったんですよ。だから、こんな書き方になってしまいました。
ごめんなさい。そして、ご助言感謝いたします。
奥薗先生のお心の葛藤を、何も知らない私が、勝手な感想を書き込んでしまい、
こちらこそ 申し訳ありませんでした。
ご返事までくださって、本当に頭がさがる想いです。
先生は、天性の感性をお持ちの方でいらっしゃいます。
もう その素晴らしさに 憧れるほど。
どうぞ、ありのままに、歩んでくださいますように。