でいりいおくじょのBLOG

2020.11.05

読書日記「仏具とノーベル賞 京都・島津製作創業伝」

島津製作所といえば、京都を代表する老舗大企業の一つ

ノーベル化学賞を受賞された田中耕一氏がおられたところでもあります。

そんな島津製作所の創業伝を見つけたので読んでみました。

 

「仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝」(鵜飼秀徳著 朝日新聞社)

 

初代島津源蔵さんは、西本願寺に出入りする仏具職人だったのですが

明治になって、廃仏毀釈が進み、京都の寺院の数が半分にまで減り

仏具を作る仕事がなくなっていきます。

 

そのころ、京都は

天皇が東京にお出かけされたまま、帰ってこられないことで

産業や町の活気がどんどんすたれていきました。

 

時の京都府知事、槇村正直氏は

それを立て直す方法はないかと考え

科学と教育の力で京都を復興しようと考えたんです。

 

科学技術の研究や技術開発を目的にした京都舎蜜局(さいみきょく)が作られ

いち早く小学校もできます。

 

科学の力で近代化を目指した京都は

ドイツなどから最新の科学技術を積極的に学んでいきました

 

その中で諸外国から持ち込まれた理化学機器に、源蔵が興味を持ったのが

ある意味一つの転機でした。

 

それまで仏具作りで培った精密な物作りの技術を理化学器製造に転用しようと考えたのです。

そして、小学校で使う理科の理化学機器の製造に商機を見出していくのです。

 

時を同じくして

ヨーロッパでは映画が発明され

気球を飛ばすことにも成功していますが

 

科学で近代化することを目指していた京都は

そういう新しいこともいち早く反応し

日本で最初の映画上映に成功したのも京都ですし

日本で最初の気球の打ち上げに成功したのも京都です。

 

そして、その気球を打ち上げたのが島津製作所なのです。

 

とにかく、島津源蔵さんは、好奇心旺盛で研究熱心、ものすごい勤勉で

その努力は、本当にすごいです。

 

最初は、おそらく仏具の需要が激減したことで

生きていくために、必死で新しい時代の新しい仕事を開拓されていたんだとは思いますが

 

そこでの業績が、京都そのものを発展させる礎になっていくし

更には、科学の力で日本の国力を世界レベルまで引き上げる力になっていきます。

 

とにかく、取り組まれたことの一つ一つがすごいことばかりです。

日本のエジソンと言われているのもうなづけます。

 

 

明治から昭和にかけては激動の時代で

その技術が戦争に使われた時代もありましたが

 

やはり、技術は平和のために

また、人類の幸せのために使ってほしいなと思います。

 

そういう意味では田中耕一さんのノーベル化学賞は本当に良かったです。

 

島津製作所の創業伝は

そのまま明治から昭和にかけての、京都の歴史でもあり

知らないこともたくさんあったので、面白かったです。

 

首都が東京に移ってしまった後

京都がどんな風に新しい街として生まれ変わっていったかの歴史として

読んでみるのも面白いと思いました。

 

京都島津製作所

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